大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1544号 判決 1969年4月28日

控訴人

(第一審甲乙事件被告)

東京都

右代理人

木村忠六

三谷清

被控訴人

(第一審甲事件原告)

石川一義

被控訴人

(第一審乙事件原告)

石川準子

ほか五名

右代理人

馬場正夫

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人勝訴の部分を除き、その余の部分を取り消す。被控訴人らの請求はいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、記拠の提出、援用および認否は、次のとおり付加、するほか、原判決の事実欄に記するところ(たゞし、第一審原告折茂嘉宣、同川辺武利に関する部分を除く)こと同一であるから、こににこれを引用する。

控訴代理人において、

一、違法性が存しないことについて

(い)  本件騒音は被控訴人らの受忍義務の範囲を超えていない。

すなわち、(1)昭和三五年七月中旬ころ、本件工事場所である隅田川沿いの雷門一丁目一二番地界わいの住民(被控訴人らを含む)で構成されていた雷一東部地下鉄乗入対策委員会の委員長戸田征之助から控訴人当局に対して、騒音で睡眠のとれない者が行つて泊れるような施設を準備してほしい旨の申入れがあり、控訴人当局で検討討した結果、右対策委員会において宿泊のために旅館等を適宜選んで利用し、その費用は本件工事施行者の一人である訴外白石基礎工事株式会社が負担することとする旨を同会社から右委員長に回答したのであるが、地元住民側は実際には利用するに至らなかつたのである。もし、このような宿泊施設を利用していれば、騒音による夜間の迷惑は一応避けえた筈である。

(2) また、本件工事終了後、本件工事施行の関係者である訴外白石基礎工事株式会社、同鹿島建設株式会社、同株式会社間組の三社は、その負担において合計金三〇万円を本件工事による付近住民の迷惑を謝する意味で、被控訴人を含む地元町会(雷門東一丁目町会、所属世帯数約一一〇)に寄付し、地元住民も事情を諒とした。

(3) 本件地下鉄路線が被控訴人らの居住する付近を通るようになることについて、被控訴人石川一義を含む地元町会住民は連署をもつて控訴人当局に対し陳情書を提出しているほどで、本件地下鉄路線が通るようになれば、交通の便がきわめてよくなり、地価もあがり、町の発展にも資するのであり、反面騒音の防止策のないことや、本件工事施行者が騒音による被害の緩和に努力したことを認め、地元住民も結局協調的態度に終始した。

以上のとおり、利益の帰するところ若干の困苦も伴なうのであつて、さればこそ他の付近住民は本件工事の騒音による迷惑をあえて受忍したのである。被控訴人ら側に存する右のような事情、後記一の(は)および三記載の各事実を併せ考えると、本件騒音は地元住民(被控訴人らを含む)にとつて未だ受忍すべき範囲を超えたものとはいえない。

(ろ)  被控訴人ら主張の都条例にも違反していない。

すなわち、都条例は騒音の規制を目的とし、騒音とは音響機器から発する音で一定の音量を超えるもの、音声、動作音および作業音等で付近の静穏を害するものをいう(第二条)と定義しており、ここに「作業音」とは「工場、事業場等の設備又は作業により生ずる音」をいう(第二条第六号)のであつて、「工場、事業場等」とは永続的に、かつ固定して作業の行なわれる場所を包括的に表現したものであるから、種々の建設工事のような臨時的、一時的のものであつて、かつ場所というより工事そのものが主体をなすようなものは、「工場、事業場等」には該当せず、従つて、本件工事騒音は作業音には当らないのである。

仮りに、本件工事騒音が、作業音等に当るとしても、都条例の定める「何人も騒音を発しないように注意する義務」(第四条)および「午後一一時から翌日午前六時までの間の夜間の静穏保持の義務」(第六条)についてはその例外として「前三条の規定にかかわらず時報その他公共のためにするもので一時的のものはこの限りでない」(第七条)と規定しており、ここに「一時的のもの」とは、永続的でなく、一定の目的を達すれば終了するものの意であつて、単に時間の長短によつて観念すべきものではないから、本件工事騒音は「公共のためにする一時的のもの」であつて、都条例に違反しない。

(は)  違法性の阻却について

仮りに本件工事騒音が都条例に違反するとしても、本件地下鉄路線の工事は国の都市計画決定に基づく公共の福祉のためのものであること、本件工事の方法として築島ケーソン工法を採用したのは他の工法に比して技術的に最も安全確実で有利であること、工事を極力急がないと洪水期において河川の溢水による被害(それは工事騒音による被害などよりもはるかに甚だしいといえよう)を避けるには昼夜兼行の工事を余儀なくされたこと、技術的に工事騒音を防止する方法がなかつたこと等の諸事情を考えると、本件深夜工事の騒音により被害があつたとしても、それより大きな被害を避けるためやむを得なかつたもので、この点において控訴人が深夜の静穏保持義務に違反したとしても、いわゆる期待可能性を欠き違法性は阻却されるものといえる。

二、控訴人には過失が存しないことについて

過失責任の原則は、行為者が自由な意思に基づいて、本来回避すべきことを回避しなかつたことに責任を認める趣旨であるから、それが回避可能であることが当然の前提でなければならないところ、もし社会一般の観念上、回避することが不可能もしくは著るしく困難であると認められるような場合には、もはや過失責任の原則をあてはめる余地はない。

しかるに、本件工事は、建設大臣の決定に基づくもので、控訴人としてはこれを施行しないわけにはゆかなかつたこと、また、河川の溢水を回避するため深夜作業を余儀なくされたこと、現在の科学技術上、本件のような工事騒音の発生を抜本的に防止することが不可能であること等を併せ考えると、本件工事騒音による被害の発生は、全く必然不可避的のものであつて、控訴人の意思によつてはいかんともしがたく、たとえ本件工事騒音により被控訴人らに対する権利侵害があつたとしても、控訴人においてその責に任すべき故意過失は存しない。

従つて無過失責任を認める特別の立法がなされないかぎり、控訴人に不法行為責任を負わしめることは許されない。

三、本件工事騒音と被控訴人らの被害との間には相当因果関係が存しないことについて

一般に人は騒音を絶えず受けていると、ある程度それに対する慣れというものができ、これにより比較的耐え易くなるものである。被控訴人らを含む付近一帯の住民は、多少の程度の差こそあれ、ひとしく本件工事騒音を感受していたのであるが、それにもかかわらず、当初相当騒音に悩まされた者も、次第に慣れによつて老幼を問わず支障なく睡眠のとれている者もあるのである。ただ人によつて騒音に対する感受性に個人差があるから、刺激に著しく敏感な人は、いかに慣れても睡眠が充分とれないということもありえよう。しかし、かかる異常な感受性を有するがための被害であるとすれば、それは騒音との間に相当因果関係があるとは言えず、被控訴人らについて、本件工事騒音とその被害の間に因果関係があつたとはにわかに断定できない。

四、過失相殺について

仮りに控訴人に不法行為責任があるとしても、前記一の(い)の(1)ないし(3)に記したような各事実が存するので、その損害賠償額の認定に当つては過失相殺さるべきである。

被控訴人ら代理人において、

(一)  前記一の(い)の主張について

(1)  前記一の(い)(1)の事実は知らない。仮りに控訴人主張のような事実があつたとしてもそれは騒音の終わる確か一ヶ月位前にすぎない。

(2)  前記一の(い)の(2)の事実は知らない。被控訴人らは金員を受領したことはない。

(3)  大多数の人達は、たゞ近くを地下鉄か通過し、浅草の駅まで行けばこれが利用できるというにすぎず、その他の特殊の利益は何にも受けていない。

(二)  前記一の(ろ)の主張について

条例が「一時的の騒音」として例示するのは時報のチヤイムその他消防自動車やパトカー等のサイレン等公共性があり、かつ文字どおり「一時的のもの」であつて、一年半にもなんなんとする工事の騒音を、たとえそれが公共の目的にでたものとはいえ「一時的」のそれとは到底考えられない。

(三)  前記一の(は)の主張について

公共の福祉と基本的人権の調和という高い法律理念の実現を本件に即していうならば、控訴人は都民にかかる生活の安寧(睡眠の確保)を保証しつつ、同時に地下鉄工事の完成(必要ならば昼夜兼行の作業による)を図ること(反面例えば臨時宿泊設備の提併等)こそ最も妥当な望ましい方法というべく、憲法は地方公共団体に対しても、かかる政治や行政の高い理念を明示しているものと解すべきである。

(四)  前記二の主張について

過失は一般的にいつて一定の結果の発生を知りうべきであるのに知らなかつたことであるが、不法行為の場合に、その結果の発生とは、他人に損害を与えるような違法な事実が生じるということである。すなわち、客観的に違法とされる事実の発生を知るべくして知らなければ過失があるのであつて、そこから損害が発生することを知りうべきでなかつたとしても、過失のあることの妨げにはならないが、それが違法なことを知るべくして知らなかつたことは必要であると解される(加藤、新法律学全集不法行為七一頁)。本件につき、これをみれば、控訴人の指揮監督の下に夜間に継続して騒音を伴う工事を約一年半の長期に亘り行なうことが、被控訴人らの睡眠を奪うという結果をもたらすことは、控訴人において当然知りえたところであるのに、かえつて工事を行つても構わないものと信じたところに過失があつたといわねばならない。

また、過失による加害とは、不可抗力の場合を除いて人の自発的な容態を通じて損害を与えることなのである。したがつて、故意による場合、またはその行為の結果を予見すべきに予見せずしてなされる加害のみならず、今日民法解釈上は過失なしとみられた容態による加害行為もなおそのうちに含まれる。そして、民法第七〇九条の過失をかように拡張して把える結果は、同法第七一七条もはや第七〇九条に対立する意味を持たないで、同条における所有者のいわゆる無過失責任は広い意味の過失責任となるのである。そして民法における不法行為責任は一元的な過失責任主義によつて貫かれることになるのである。かような過失の概念構成は、従来加害者の過失なくしてなされた加害に対して、ひとしく過失のない被害者が理由なくその受けた損害を忍容しなければならなかつたという不合理を、単に制度上やむを得ない結果としてその限りにおいて放置したのに対して、被害者が正当に救済される結果となるのである(石本、損害賠償責任の研究上九五頁九―六頁)。

(五)  前記三の主張について

騒音に対する被控訴人らの感覚が異質であつたという事実は否認する。

と述べ、<証拠略>。

理由

当裁判所も原審の認容した限度において被控訴人らの本請求は正当として認容すべきものと判断するが、その理由は次のとおり付加するほか、原判決の理由欄に記するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

一本件騒音とその違法性について

(い)  控訴人は事実欄の一(い)の(1)ないし(3)の事由等を挙げて本件工事騒音が被控訴人らの受忍義務の範囲を越えていない旨主張する。

(1)  <証拠>によると、地元民から夜睡眠がとれないので他に泊る場所が欲しいとの要望があつたのに対し、請負会社において旅館は心配するが費用は出せない、留守宅の保管責任は負えないとの回答があつたためその話合いは駄目になつたことが認められ、他に控訴人主張の右(1)のごとき夜間の騒音を避けるための手段を講じたことを認めるに足りる証拠は存しない。

(2)  また、<証拠>によると、工事完成後請負会社より地元に若干の見舞金が支出され、地元民はこれを工事のため撒去された街路灯の復元費用の一部に使用したことが認められるが、それ以上に控訴人主張の右(2)のとおりの事実を認めるに足りる資料はない。

(3)  尤も、控訴人主張の右(3)のように本件地下鉄が建設されると付近の住民にも交通が便利となり、その駅付近の地価も上昇することは公知の事実であるし、<証拠>によれば本件地下鉄工事につき地元住民が一般的には協力的であつたことは否定できないけれども、地元住民が右工事騒音による被害につきこれを了承していたことを認めるに足りる証拠はない。

そして、被控訴人らは長期間にわたり午後一一時から午前六時の深夜、未明において甚しい工事騒音による苦痛を受けていたのであるから、右(1)ないし(3)のような事由があつたからといつて、これを受忍しなければならないこととなるわけのものではない。控訴人の右主張は採用できない。

(ろ)  控訴人は、本件騒音は騒音防止に関する都条例に規定する「工場、事業場等」の騒音には該当しないし、また「時報その他公共のためにするもので一時的なもの」であるから右条例に違反していない旨抗争する。そして原審証人川浪嘉明、同望月富雄は本件騒音が「工場、事業場等」の騒音に当らない旨供述するけれども、右解釈が失当であることは引用にかかる原判決の理由に説示するとおりであり、また本件工事騒音が「時報その他公共のためにするもので一時的なもの」に当らないと解すべきことは右各証人の供述によつても明らかなところである。控訴人の右主張はひつきよう独自の見解であつて採用できない。

かりに、控訴人主張のとおり本件工事騒音が右条例において罰則をもつて禁止しようとする騒音に当らないという解釈をとるとしても、本件においては不法行為法上の違法性の有無が問題とされているのであつて、これが判断につき右条例の規定を参考資料としているにすぎないことは引用にかかる原判決理由の説示するとおりであるから、条例の禁止規定に触れないことの故をもつて直ちに不法行為としての違法性がないと速断することはできない。そして本件工事騒音は一年有余にわたり深夜、七〇ホンを越えていて被控訴人ら付近住民の安眠を著しく妨げたのであるから、右条例に規定する騒音に該当しないということのみで被控訴人らがこれを受忍すべき範囲を超えていないとすることはできない。

(は)  さらに、控訴人は、事実欄一(は)の諸事情により本件工事騒音の発生につきその違法性は阻却される旨主張するけれども、この主張の理由のないことについては引用にかかる原判決理由において既に説示したとおりである。

二控訴人の過失について

請負人の施工する工事により第三者が被害を受けたとき注文者にその損害賠償を求めるには注文または指図につき注文者に過失があることを要し、その過失は本来被害者において主張、立証すべきところ、およそ過失があるというには、まず、当該行為により発生した結果を行為者が注意していれば予見しえたのにこの予見義務をつくさず、そのため結果発生に至るか、或は行為者が注意していれば結果の発生を回避しえたのに、この結果の回避義務をつくさなかつたため結果の発生を回避できなかつたといういわゆる予見義務か結果回避義務のいずれかに違反して結果の発生をみた場合である。

そして、本件騒音のようないわゆる公害についての工事注文者の過失につきこれをみれば、建設工事に或る工法をとる以上、一定の量、性質の騒音が発生することは現在の科学技術上やむをえないところであり、またたとい当該工事が公共の福祉の見地から急速な完成が要請されるとしても、注文者は工期その他の施工方法を決定しまたはその後の施工を指揮監督するに当つては、工事騒音の付近住民に与える影響の有無、程度を予見し、さらにその騒音による被害を可及的に防止、軽減、回避する手段を講ずべき注意義務があり、それらの点のいずれかに欠けるところがあれば、注文者に過失があるものというべきである。

ところで控訴人側においては被控訴人ら付近住民が騒音につき苦情を申し入れられるまでは、騒音は河面から適宜四散して近隣の住民にはそれほど悪影響はないであろうと楽観して着工させた嫌いがあること、工事の現場監督を担当した控訴人の高速電車建設電車建設部隅田川建設事務所長は被控訴人らから再三騒音の防止を申し入れられるに及んで、ケーソンの上に板を乗せること、一部の音源の周囲にシートを張ること、コンプレストエアーを水中に排出させることおよび護岸の民家近くに塀を設置する程度の措置をとつたが、昼夜兼行の工事の施行はそのまま続行したことは引用にかかる原判決認定のとおりであり、また<証拠>によると、控訴人は本件工事による有形の損害は別として騒音の無形の損害についてはその損害の補償を予定せず、地元民から夜間他に泊る場所の要望が出た際も、控訴人においてはこれにつきなんら積極的に手配をすることはしなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

そうだとすれば、控訴人は本件工事の注文または指図に当り前記注意義務を尽すにつき十全であつたということはできないから、結局、控訴人には本件工事より発する騒音の被害につき過失があつといわねばならない。よつて、控訴人が右被害は不可避的なもので控訴人に過失はないとする主張は排斥を免れない。

三本件不法行為の相当因果関係について

控訴人は被控訴人らが異常な感受性を有するとすれば、本件工事騒音と被控訴人らの被害との間には相当因果関係がない旨主張するけれども、当審証人楯専三の供述のみではこれを認めるに足りず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はないから控訴人の右主張を採用するに由ない。

四控訴人の過失の主張について

控訴人は事実欄一の(い)の(1)ないし(3)の各事実が存したから本件不法行為に基づく損害賠償については過失相殺さるべきである旨主張するけれども、これらの各事実が認められないことはすでに前記一において認定したとおりであり、また右一において認定した事実によつては被控訴人らに過失があつたとするに由ないから、右主張も採用の限りでない。

五その他当審にあらわれたすべての資料によるも当審の認定を動かすに足りない

よつて、被控訴人らの本訴各請求を右の限度において認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条に従い主文のとおり判決する。(青木義人 高津環 弓削孟)

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